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岩手日日新聞 2003年1月1日 ひつじ年に期待する
えとでいう「ひつじ」年がやってきた。実弟から「60歳を迎えるよ」という連絡がきている。還暦祝いを期待しているようだ。来年の60歳は,まだ戦前生まれである。
未(ひつじ)年の該当年は,108,96,84,72,60,48,36,24,12歳の人たち。それぞれ年齢世代によって喜びも悲しみもいろいろあったことだろう。羊は,人間に役立つ生き物の代表格。ジンギスカン料理もおいしいし,羊毛製品で身を包むこともできるからだ。
2003年は,どんな年になるだろうか。ぜひ喜びに満ちた日本であってほしい。安心できる政治を行ってもらいたい。産業経済の隆盛を願わずにはいられない。
年寄りだけが元気な社会であってはならない。子どもが自信喪失にならないように導きたい。そして今年も,50歳代前半の方々の負担は大きいものになることだ。気の毒ではあるが,日本のための礎になって,しっかり支えてくれることを期待する。
日本国の活力を復活させたい。国民のパワーを結集したい。このまま沈没するわけにはいかない。希望を抱き新年を迎えたい。私たち日本国民は,堂々と胸を張り,筋道を通して平和主義を貫き,慈悲と自愛の心を世界中に示したい。戦争によって景気を回復させようとする考えは,断固排除すべきである。
読売新聞 12月8日 苦しさ救う一言
前年まで6年連続で最下位に低迷していたプロ野球の大洋を,1960年に見事,初の日本一に導いた故 三原監督は,活躍した若い選手を「超二流選手」と呼んで,話題になったことがある。
私も26歳のとき,同じような一言で,癒されたことがある。大学院生として歴史学の論文作成に四苦八苦しているとき,禅宗の僧の資格をもつ宗教学の教授から「凡人の一流の研究で いいではないか」と言われて肩の荷が下りた気がした。
凡人とは普通の人間のことで,天才ぶって力むなという激励の意味だったのあろう。老境に入った今,この「凡人の一流」という言葉を思い起こすと,小馬鹿にされたような感じもなくはないが,当時若年だった私は,この一言で救われた。
「超二流」とか「凡人の一流」という表現は,相手の受け止め方次第で,人をけなす場合にもなれば,癒すことにもなると思うが,私には とても癒された言葉だった。
岩手日日新聞 11月27日 素晴らしかったマーチング大会
初雪が溶けた後の晴天の11月17日,」藤沢町で第23回東北選抜マーチングバンドの発表大会が開催された。近隣市町村からたくさんの方々がいらした。中には,宮城県から来町した方々も見受けられた。
知人である藤沢町マーチング協会のT会長が,胸を張って言った。「山里の小さな町から,広い世界に向かって発信する音楽文化をしっかり見届けて欲しい」と。そんな21団体が 競い合う光景を日本中に紹介したいと思った。
素晴らしい実演の陰に,指導者,支援者の方々の大変な苦労があったのだろう。関係者に敬意を表したい。地元藤沢町の合同マーチング。5歳児から小中学生,ふじの実学園生や一般の団体が一つになっての「おさかな天国」演奏と振り付けに 感動した。
各団体の質が高いこと,見終わった後の充実感は格別であった。T会長が自慢するだけあって「音楽による心豊かな人づくりの町」の目的は,今回も見事に果たしたと実感させられた。
岩手日報 11月23日 大流行に備え予防接種大切
今,不景気風に加えて病の風邪がはやっている。あっちでもこっちでもジュルジュルと鼻をすする音やコンコンという咳が聞こえてくる。冬到来とともに「万病のもと」の季節となる。
大流行に備えて予防接種を受けた。それにしても,景気はよくならない。ボーナスも軒並みダウンというではないか。「日本国政府よ,しっかりせよ」と声を大にしたい。病気予防は大切である。不景気対策は,全くと言っていいほど手だてがない。日本国は難病にかかっているのである。大手術が必要だろう。患部がどんどん進行していることが心配である。
河北新報 11月22日 元気みなぎる高齢者に感動
「大不況の今,若者より年寄りの方が元気だね」とシルバーセンターの知人が言った。なぜ,高齢者は,達者なのか。近所の75歳の女性をうっかり「老女」と表現したら,周囲からしかられた。さっそくその女性を観察してみると,顔,形は,いわゆる一見「おばちゃん」だが,身のこなしは,50代の「女盛り」そのもの。その上,粗食にも耐えている。この世代は,戦争を挟んで青春時代は,物不足,食糧難だったので,よく鍛えられている。
余暇活動も精力的にこなす。ゲートボールに興じ,町営プールに通い,月に数回は俳句会に顔を出す。町が設定したパソコン教室に通う女盛りの75歳は,「メル友をつくって情報交換するんだ」と興奮したように言い放った。「せっかくの楽しい人生なのだから,このまま ただでは めいどに行かない」そうである。
岩手日日新聞 10月25日 年寄りだって 勉強しなきゃ
岩手県フェスティバル「私の提言」特別奨励賞受賞
年寄りは引っ込んでいなさい,という警告は過去のものと言わざるを得ない。九〇歳をすぎた超ベテラン男女がゲートボールやグランドゴルフに興じ,老人会の運動会の種目に参加している姿を見る煮付け,還暦を超えたばかりの私などまだ若造だ。だから一念発起して地域の小学校児童のためにひと肌脱ぐことにした。学童保育の指導員に応募して採用された。共稼ぎの夫婦の子どもを保育所で面倒を見る役目である。
学校を終えた一年生と二年生の子ども四人が「ただいま」と帰ってくる。我が家の雰囲気作りに苦心して,春の終わり頃にようやく定着した。我が町では初めての試みの学童保育である。初代の指導員一七名は,ローテーションを組んで日曜日を除く毎日,親のため子どものために「日本一」の保育所づくりに努力しつづけている。
おらが町の「ふじっ子クラブ」はスタートとした。人口一万五〇〇人の町は,少子化がつづいている。人口減に歯止めをかけたい。だから若夫婦のため年寄りが知恵を出し合って子どもたちの面倒を見てあげ,ひいては人口増につなげたい。安心して子どもが暮らせる地域づくりを,年寄りは今,真剣に勉強している。
岩手日報 10月4日 衝撃的な拉致 徹底究明望む
昔話や民話に「人さらい」が面白おかしく描かれている。人をさらうことを「拉致」という。まさに恐ろしい行為なのである。この非人道的行為を一国の最高権力者が認知したと報道されている。
しかし,後になって「拉致などしたことがない」と言い出すのではないかと不安を覚える私である。ある日突然,身近な人がいなくなる。そういう状況を「神かくし」と称していた。消息不明という非現実的な現象がたくさん起きていたのである。身内の方々の苦悩は大変なものであったろう。現代の怪,まか不思議菜出来事だったのである。
時が経つにつれ,「神かくし」が「人さらい」らしいと騒がれ出した。拉致の証言とともに,事実が少しずつ明らかになってきている。被害をうけた家族の方々の思いは,想像を絶する。在日の関係民族の方々の心境も理解できる。極めて遺憾なことが,近隣の仲間として誠意を尽くして究明していくしかない。
岩手日日新聞 9月1日 晩夏のひととき
今夏は意地悪な気候だった。「盛夏の候」とか「暑中お見舞い申し上げます」などとは決してあいさるできない長雨にたたられた日々だったから。農作物への影響が心配である。7月の台風6号の豪雨もひどかった。長引く不況をあざ笑うような天候不順。江戸時代には真夏なのに雪が降ったときもあって,大ききんが数年間も続いたとう悲しい歴史もある。不幸な歴史は繰り返してほしくない。
8月24日は,珍しく青空が広がった。首都圏からやってきた家族5人を案内するのに好都合の日よりだった。藤沢町黄海の館が森は深い緑とさわやかな風が大地に恵みを与えていた。
牧場のハーブ館内は,昼食時に人で立て込んでいた。上海出身の知人Cさんが牧場での食材を主体にしたバイキング料理を始めていた。私が案内した家族5人は「岩手の食財」に大満足。何皿もお代わりをしていた。
サービスの担当者数人は,若い女性できびきびとした立ち居振る舞いで,好感がもてた。私自身は,久しぶりに十数種類の料理に舌鼓を打ち,栄養が行き渡り若返った気分になった。知人との出会い,料理の新鮮さとおいしさで,人をもてなすことの大切さを晩夏に体験し,天候不順への怒りが和らいだひとちきであった。
岩手日日新聞 7月28日 時の流れに身を任せ
IT(情報技術)の世の中である。人と会うとノートパソコンがお供している。操作が自在の人からは「パソコンがおできにならないの」と,当方を化石人扱いだ。パソコンで文章を作ろうと,地元で講習会に通っている。
この程度の私だから,今慌てている。八月上旬から総務省主導で,全国民に番号をつけるという。順民基本台帳というらしい。私にも11桁の数が割り当てられるのだという。
お上のやることだから,お任せしようと思う。何やら疑念も持ってない。ところで,その11桁の私の数字は何に,どのように使われるのだろうか。このことがよくわからない。私には数年前に示された基礎年金番号もある。これとどうつながりがあるのだろう。
パソコンで番号をつかい,たくさんの用をたすのだろう。はて,私はどうしよう。パソコンが出来ない人は,邪魔者になってしまう。
時の流れには逆らえない。激流に身を任せるしかない。とうとう,一人ひとりに番号がつく時代がやってくる。「お宅は何番ですか」などとあいさつ代わりになるかも。秘密保持は難しいのではないかな。
岩手日報 7月13日 普段の力量を甲子園で示せ
大阪である会合があり,参加した。関西はタイガースの凋落でさぞ意気消沈しているだろうと考えていたが,現実はとんでもない。ますますフィーバーしていた。最下位常連でファンもたくましかった。
会合の合間をぬって,甲子園の下見をしてきた。岩手県予選の勝者は,8月に甲子園で戦う。優勝を目指して普段の野球をやってほしい。甲子園で存分に個々の技を出し集団としての力量を示してもらいたい。甲子園は君たちを待っている。
胆江日日新聞 7月1日 水陸万頃の胆江から日本一を
今,岩手県民にとってほしいのは「甲子園での優勝」である。若いパワーで胆江地方から全県へ恵みを広げてもらいたい。勇者アテルイのたましいは,1200年の時空を経て,われわれのふるさとおよび人々に奮起を期待して見守っているにちがいない。
ライオンいわて 7月号 テールツイスターセミナー
6月6日縄文ホールで行われたテールツイスターセミナー,会場は熱気に充ちていた。会場を盛り上げるには,時によって,民謡も効果がある。南部牛追い唄を歌った。いかなる場でも,エンターティナーであるべしと学んだ。
岩手日報 6月4日 優先すべきは まず景気対策
この国の為政者は,国民が勤勉で忠実であることをいいことに,情報規制とか対外的戦闘要項だとか,何で今ここでこういうものを定めなければならないのか,と首をかしげたくなる。国民として景気対策はどうしたーと声を大にして言いたい。泥沼にどんどん引きずり込まれているようなやるせない思いを募らせているのは,私だけであろうか。
文芸ふじさわ 第22号 6月発行 岩手球児甲子園日本一への第一歩
目次 1 米国:ニューヨークにて
2 日本:東京にて
3 岩手:藤沢町にて
4 藤沢町「高等学校」野球部
※ 文芸ふじさわについては,直接 藤沢まことまでご連絡ください。
岩手日日新聞 6月3日 教えられたサッカーの魅力
熱狂的なサッカーファンEさん。熟女である。「日本代表になるには,東大に合格するより難易度が高いのよ」知力とともに,あらゆる運動能力が備わっていなければ通用しないとのこと。「ゴールキーパー以外手を使えないようなスポーツのどこが高等なんですか」と言ったら,Eさんがずばり「使ってるわよ。すごいテクニックで自在に手を操っているのをじっくりテレビでご覧なさい」
メンバーの中に,岩手出身の小笠原満男さんがいるのだという。大船渡出身で小柄の子。選手に漏れた中村俊輔や奥大介という著名な選手もいるという。世界最大のスポーツイベント,「開催国の日本は優勝できるの?」Eさんは,黙ったまま横を向いた。
胆江日日新聞 5月19日 水陸万頃の胆江から日本一を
今,岩手県民にとって欲しいものは,「甲子園での優勝」である。大昔,みちのく郷土の大先輩アルテイがその勇者ぶりを評価されて畿内の宮廷に出向いたが,策謀によって辺境の悪者のレッテルをはられて非業の最期を遂げた。高台から胆江地方は,「水陸万頃(ひろびろしている)」である。山紫水明の豊饒の地であることを確信した。
さて,高校野球夏の大会は,前哨戦がはじまっている。胆江地方は日本一広い県の中央地帯を占めている。この土地の高校野球チームにぜひ甲子園大会の頂点にたってもらいたい。若い人のパワーで,胆江地方から甲子園へ。勇者アテルイのたましいは1200年の時空を超えて,われわれのふるさとおよび人々の奮起を見守っているに違いない。
岩手日報 5月17日 30年ぶりのバッテリー
根室市でUさんの実父が亡くなった。Uさんは,四十九日を終え,ぶらっと拙宅へ。30年前,血気盛んな頃,野球でバッテリーをくんでいた仲であった。負けん気の強い速球勝負の彼をほめたり,おだてたりしてリードし,職場野球大会で優勝する原動力になったものだから,「アマチュアの黄金バッテリー」ともてはやされた。「どうして根室の鉄工所をつがなかったんだ」と問うと,「根室という土地柄を思いだしてくださいよ」と彼。はっと気づいた,うわさのある政治家が絡んでいるところである。
上京するという日の午前,キャッチャーミットとホームベースをもって広場へでた。30年ぶりのキャッチボール。私は痛む足腰をかばいながらきっちり捕球することだけに集中した。「まだいけるじゃないですか」に「やはり年ですね。息があがった」と20級でおえた。根室の人よがんばってねとUさんを見送った。
岩手日日新聞 5月5日 「名手」出現に期待
野球シーズン到来。夏の甲子園大会で,岩手の高校球児に優勝してもらいたいものだ。基本を身につけ,応用力が発揮できる各ポジションの名手の出現が待たれる。速球で勝負できる投手もいい。頭脳的な捕手もいていい。がんばれ岩手代表。ところで,政治の名手,経済の名手はどこにいるのだろうか。金集めの名手はいるらしいが。
岩手日日新聞 4月7日 黄海川とのつながり永遠に
黄海というところは,みちのく安倍現地軍が,京都朝廷から派遣された源氏軍を撃破した地点として名高い。仲間は,源流から北上川までの流域に眠る文明を探ろうとしている。古里の再発見をめざしながら,流域の今昔を体験して喜びを味わっている。千厩地方振興局は,「黄海川ウオーターフロント計画」の大綱をまとめ,この川がクローズアップされている。豊かだった自然を再生したい。
岩手日日新聞 3月20日 修了目指して
Yさんは,20歳のレディ,耳が聞こえないハンディをものともせず,英会話にチャレンジ。Yさんは,高校2年生のときに,ロサンゼルスの学校へ留学したほど優秀な人です。いつも前向きで「ミスYは,ステッカー(がんばりや)ですね」と感心されています。みんなで英会話の修了をめざしてがんばっている。私は60の手習い難しい。でも若い人と学ぶことはとても楽しい。
岩手日報 3月16日 人爵より天爵 自己を磨いて
人間の社会は不条理である。人から与えられた地位を人爵という。人爵は,退職と同時に「はいそれまでよ」である。しかし天爵を得た人は,終生人々から尊敬される。出口の見えない長引く不況の今,人爵よりも天爵をあたえられるよう自己を磨く努力をし,幸せをもとめたいものである。
岩手日日新聞 3月10日 黒髪こそわが命
理髪店の奥さんがなげいている。せっかくの黒髪を傷めている若い人が多いと。友人の40歳代の奥さんは,素晴らしい黒髪である。つやがあり,黒光りしている。こういうヘアスタイルが主流になる日はいつだろう。黒髪を傷めている人には,再生はあるのだろうか。はげ頭の友人は断言する「一度はげたら,再生しないよ。おれは金をかけたが,ホレこのとおり」と頭をなでて苦笑い。
河北新報 3月10日 自立の原点 感動の卒業式
3月は卒業シーズン。自閉症の「ともくん」は,卒業式の参加は難しいとささやかれていた。担任は,教員時代の私。善悪のけじめ,悪いことをすれば厳しく対処,いいことをしたら優しく笑顔で対処を繰り返えされた。そして,ともくんは,90分の卒業式に耐え抜いた。スタッフもお母さんもみんな泣いた。ともくんは,今中学校2年生。先生方は,卒業式の参加を目指して動き始めた。
岩手日報 1月29日 日報論壇 週五日制の社会を見守る
社会を活性化させるためには,子どもたちを教育機関や施設に長時間拘束させるべきでない。そして,加須kは,子どもを縛りつけずに仲間づくりに励ませるべきだ。老人と子どもとの接点も重視したい。週五日制が社会の隅々に活気を提供するものであってほしい。
岩手日報 1月24日 どん底を体験強気な60歳超
どん底を経験した日本人よ,今日を生き抜くことに必死だったあの頃を思いだそう。老人たちよ,どうせ仕事はないんだ生き生きと楽しもう。おかゆをすすって生き残った者たちは,ちょっとやそっとじゃへこたれないぞ。‥
河北新報 1月16日 掲載
昨隼はテ回を仕掛けられ、仕掛けた米国主幻の十一世紀型戦争』で披の中
は揺れ動きました。震族の存在も浮ぎ彫けになヶた一年でもありました。
私たち仏教徒グルーブは何を成し得たでしょう。慈悲の心がありながち大きなうねりとして、功徳が不幸な人々に及ばなかったのではないでししょうか。
「国やぶれて山河あリ」とは古くから言い伝えられてきた名句ですが、かつて日本はどん底から立ち上がったのでした。民族が、人々が大同団結すれば、復興は可能だということを私たちは実践してきたのです。
あえて戦争に踏み切った米国政府の決断が吉と出るか{また凶となるか、歴史が評価を下すわけです。平和な社会で暮らす民族,人々は幸福です。でも世界には争い事の絶えない国、地域が存在しています。
神や仏が人間の心の中に宿つていることを信じて、平和な世界が実現するよう、私たちはひたすら祈ります。
岩手日日新聞 1月13日掲載記事 夢と希望
東磐井の夜空には満月が輝いていた。二〇〇二年午前零時、気温氷点下七度の藤沢町の賛金山稲荷神社。講中の善男書女十五人が整列し参拝した。
たき火を囲んで新春放談「コメが豊作で貧乏とはおかしな話だな」とPさん。「コメを食っていける分幸せだよ。おれの会社そろそろやぱいぜ」とWさん。
Aさんの奥さんは「パートだっていつまで続けられるか不安よ」と、隼明けから不寮気な話題が続出した。「現金収入がパタツと途絶えたらどうやって生きていけぼいいんだ」とTさんの問いに、講中筆頭のSさんが冗談半分に握案した。
「お上に一撰(いっき)を仕掛けよう。そしてここの神前に立てこもろうぜ」。だれも笑わなかった。夢を持てと言う。希望を抱けと言葉で表現することは簡単だ。でも現実は切羽詰まってきている。Uさん「おれの娘が首都圏の大学に行くと一言っている。月二十万円の仕送りはどうすればいいんだよ」q一同黙りこくってしまった。
子供たちに夢と希望を与えてあげるのが親としての責務である。勉強するなとは断じて言えることではない。大人たぢは脅少年に大きな夢と希婁を持たせてあげたいと願っている。
放談しているうちに夜明けを迎えた。層残った者は、初日に向かって手を合わせた。おのおのの願いは胸に秘めたままにして。世の中はもうこれ以上悪くならないでくださいと、私は必死に祈った。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
岩手日報 2002年1月2日掲載記事
リストラでも笑顔輝く一家
◇まじめで律義な四十代のKさんが、製造会社をリストラされました。
「うちの主人は融通が利かないから・:」と奥さんがこぼしています。中学
生、高校生の子を抱え、奥さんのパート収入で四人家族は頑張っています』.。
この家族は笑いが絶えないのです。奥さんが前向きに明るく振る舞うからなのです。高校生の女、の子も中学生の男の子も奥さん譲りです。
大黒柱であったKさんは当初しょんぽりしていましたが、明るい妻子のぺースに乗せられて笑いを取り戻してきました。電気関係の職人として技術は大したものらしいのです。故障した私のワープロを手際よく修理してくれたのもKさんです。
「メカの修理屋さんをやろうかな」と毎日地元の図蓄館に通って最新の技術の勉強を始めています」奥さんや子どもたちが知り合いから、故障した電気製品を受注して父親に修理させ小遺い稼きをさせています。
「この年になって女房、いや女性の底力を知らされたよ」とKさん。、その
顔は勤め人時代よりはるかに明るく輝いています。笑いの絶えない明るい家庭こそ貧しくても幸福なんですね。.
文芸広場 12月号掲載 北緯四十度を旅する人
私の教員の大先輩に北山深次郎さんという方がおられる。御年八十四才、今だに蜜鋒たるものである。感心することは足腰が大変丈夫なこと。
田舎ぐらしを始めたのは六十才の定年後からである。かなり広い畑を入手し、地域の文化活動に励む片わら、暇さえあれば鋤鍬を手にして肉体を使っている。家事一切を仕切っている奥さんの内助の功のおかげもある。
これは茶呑み話から奥さんから聞いたことである。「ウチの人が年可斐もなくとんでもない計画を立て始めたのよ」という。何かと.たずわた私もその計画に腰を抜かした。北山深次郎さんが八十才の奥さんと「世界旅行」に行くぞ、と言い出したのだそうだ。
それもただの世界の旅ではない。北緯四十度をひと回りしよう、ということな刀であった。
せながら。
計画予定表によると、日本から中国大陸へ渡ることになっている。つまり地球を西まわりで一周するらしいのである。北京へ行き敦鰻に入るコースが確定されている曲さらにトルコのアンカラに飛んでヨiロッバを横切ってスペインのマド
八十才代どうしの旅を知らされた人は皆、唖然。田舎のことだからその話は近所にパッと広まった。そんな噂を耳にしているはずの北山深次郎さんは平気の平左。「ワシは実行する」と意気さかんなのである。
「近くなら」と奥さんはしぷしぷ同じ岩手県内の三陸の普代村に二〇〇一年の夏、夫にしたがって出かけた。帰って来て「すごい絶景だったわよ」と奥さんは専伐としていた。何故北山深次郎さんが普代村に行ったかというと立振な訳があったのである。
日本列島の最東端の北緯40度地点は、普代村の一帯なのである直ここらの海岸はリアス式で地形が変化に富んでいる。断崖から海へ落ちる滝が名所になっているのが「アンモ浦」なのである。
ここに地球及ぴ人類の繁栄と平和への願いをこめて建立された「北緯四十度のシンポル塔」がある。北山深次郎さんは、この地を世界四十度の旅の出発点と計画していたのであった。
スタートはまんまとクリアしてしまったのである。臭さんを蕗ばの見立てなのである。しかし、北山深次郎さんは今こそ世界の平和と人類の繁栄のため、実行せねばならんと力説して着々と自身の準備と行く先々の地理的研究に余念がない何奥さんはあきれているばかりなのだが。私たちの町も少子化で子どもが減少し、
お金が入ってないと困ります」と訴えている。しかし北山深次郎さんは世界平和と人類の繁栄のための行脚だから、と費用には無頓着なのである。私たちは寄り合いの度に、その他の案件として「北緯
四十度の世界旅行」について語リ合っている。「誰か暇があってお金のある人が同リード経由でアランフェスにたどり着くらしい。その後は大西洋を越えてアメリカ合衆国の旅となる。・-フィラデルフィアを基点に東海岸を歩き、大陸のど真中のインディアナポリスに滞在する。
それからは西海岸でゆっくり静養して、ようやく太平洋を渡って日本への帰国となる。「老夫婦のため旅行費の寄付をつのろつ」と言い出す者まで現われた。
言い出した本人によると、絶対実現しないよ、との了見でのことらしい。私にそっとささやいた。「寄付金で、俺たちで旅行しよう」というのだから図々しい。
とにもかくにも今、私たちはこの北緯四十度の世界旅行についてやきもきしている。奥さんは世界の旅は後免と言っている。かかりつけの医師も「おやめなさい」と
学校の統廃合の問題がおこっている百そんな状況に腹を立てた北山深次郎さんが酒に酔って意気まいたことがあった。「許されることなら、わしが子どもを増やして見せる!」と。元気なのである。奥さんに言わせると、「口先だけよ」ということだが--。
北京への出発日は、自分の誕生日と北山深次郎さんは決めている。誕生月は十二月だ、と言う。近所の者たちは、「無理です。岩手は冬で寒いが、北京はもっと寒いらしいですよ」と助言しているのだが、老人の何とかで頑としてゆずらない。
寄付金はアテにしないと言うし、冥途へは現金を持って行けるわけでもないから有金を使う方針とのこと。だが、奥さんは「今の世の中、通帳に
行せねぱなるまい」と。ひどい言い方をする人もいる。保険を高額にかけさせようぜとか。骨を拾う係も必要だからなあ、と。とにもかくにも二〇〇一年の十二月は、私たち近所ではちょっとした大事として話題になりそうである。
「八十五才のご老体がお出かけになるんですか」ーいつの間にか隣町の人からも聞かれた。こりゃ一大事だと私たちは心配でやきもきしている。
世の中で年令で人を評価してはいけないと思う。高令であっても心身お達者な方はいっぱいおられる。北山深次郎さんはおそらく一人ででも行くだろう、と私は確信している。(岩手県東磐井郡)
北緯四十度を旅する人
藤沢誠
私の教員の大先輩に北山深次郎さんという方がおられる。御年八十四才、今だに蜜鋒たるものである。感心することは足腰が大変丈夫なこと。
田舎ぐらしを始めたのは六十才の定年後からである。かなり広い畑を入手し、地域の文化活動に励む片わら、暇さえあれば鋤鍬を手にして肉体を使っている。家事一切を仕切っている奥さんの内助の功のおかげもある。
これは茶呑み話から奥さんから聞いたことである。「ウチの人が年可斐もなくとんでもない計画を立て始めたのよ」という。何かと.たずわた私もその計画に腰を抜かした。北山深次郎さんが八十才の奥さんと「世界旅行」に行くぞ、と言い出したのだそうだ。
それもただの世界の旅ではない。北緯四十度をひと回りしよう、ということな刀であった。
せながら。
計画予定表によると、日本から中国大陸へ渡ることになっている。つまり地球を西まわりで一周するらしいのである。北京へ行き敦鰻に入るコースが確定されている曲さらにトルコのアンカラに飛んでヨiロッバを横切ってスペインのマドリード経由でアランフェスにたどり着くらしい。その後は大西洋を越えてアメリカ合衆国の旅となる。・-フィラデルフィアを基点に東海岸を歩き、大陸のど真中のインディアナポリスに滞在する。
それからは西海岸でゆっくり静養して、ようやく太平洋を渡って日本への帰国となる。「老夫婦のため旅行費の寄付をつのろつ」と言い出す者まで現われた。
言い出した本人によると、絶対実現しないよ、との了見でのことらしい。私にそっとささやいた。「寄付金で、俺たちで旅行しよう」というのだから図々しい。
とにもかくにも今、私たちはこの北緯四十度の世界旅行についてやきもきしている。奥さんは世界の旅は後免と言っている。かかりつけの医師も「おやめなさい」と
八十才代どうしの旅を知らされた人は皆、唖然。田舎のことだからその話は近所にパッと広まった。そんな噂を耳にしているはずの北山深次郎さんは平気の平左。「ワシは実行する」と意気さかんなのである。
「近くなら」と奥さんはしぷしぷ同じ岩手県内の三陸の普代村に二〇〇一年の夏、夫にしたがって出かけた。帰って来て「すごい絶景だったわよ」と奥さんは専伐としていた。何故北山深次郎さんが普代村に行ったかというと立振な訳があったのである。
日本列島の最東端の北緯40度地点は、普代村の一帯なのである直ここらの海岸はリアス式で地形が変化に富んでいる。断崖から海へ落ちる滝が名所になっているのが「アンモ浦」なのである。
ここに地球及ぴ人類の繁栄と平和への願いをこめて建立された「北緯四十度のシンポル塔」がある。北山深次郎さんは、この地を世界四十度の旅の出発点と計画していたのであった。
スタートはまんまとクリアしてしまったのである。臭さんを蕗ばの見立てなのである。しかし、北山深次郎さんは今こそ世界の平和と人類の繁栄のため、実行せねばならんと力説して着々と自身の準備と行く先々の地理的研究に余念がない何奥さんはあきれているばかりなのだが。私たちの町も少子化で子どもが減少し、学校の統廃合の問題がおこっている百そんな状況に腹を立てた北山深次郎さんが酒に酔って意気まいたことがあった。「許されることなら、わしが子どもを増やして見せる!」と。元気なのである。奥さんに言わせると、「口先だけよ」ということだが--。
北京への出発日は、自分の誕生日と北山深次郎さんは決めている。誕生月は十二月だ、と言う。近所の者たちは、「無理です。岩手は冬で寒いが、北京はもっと寒いらしいですよ」と助言しているのだが、老人の何とかで頑としてゆずらない。
寄付金はアテにしないと言うし、冥途へは現金を持って行けるわけでもないから有金を使う方針とのこと。だが、奥さんは「今の世の中、通帳に
お金が入ってないと困ります」と訴えている。しかし北山深次郎さんは世界平和と人類の繁栄のための行脚だから、と費用には無頓着なのである。私たちは寄り合いの度に、その他の案件として「北緯
四十度の世界旅行」について語リ合っている。「誰か暇があってお金のある人が同行せねぱなるまい」と。ひどい言い方をする人もいる。保険を高額にかけさせようぜとか。骨を拾う係も必要だからなあ、と。とにもかくにも二〇〇一年の十二月は、私たち近所ではちょっとした大事として話題になりそうである。
「八十五才のご老体がお出かけになるんですか」ーいつの間にか隣町の人からも聞かれた。こりゃ一大事だと私たちは心配でやきもきしている。
世の中で年令で人を評価してはいけないと思う。高令であっても心身お達者な方はいっぱいおられる。北山深次郎さんはおそらく一人ででも行くだろう、と私は確信している。(岩手県東磐井郡)
12月号 The Lion 掲載記事
緑多いみちのく岩手の山中で、藤沢岩手の会員四十四人は、人口一万五百人の町の奉仕活動を行う、、ほかにも町の諸行事を支援しているので、町民にも非常に感謝されている。
今年五月の「332-B地区第47回北上市年次大会」では、中村好雄地区ガバナーを始め各幹部の見守る中、我がクラプからライオン高橋義太郎が副地区ガバナーに選任された。
当クラプの屈々は個性豊かで、英知を集めて地域の活性化、新時代にふさわしい住民自治のため活動している。結束も固く「長引く不況からの脱出は我々から」という気概で事業やポランティアに励んでいる。私は著述業という立場から日本再生の構想を練り、原稿を作って提唱している。
岩手からは戦前戦後、また時代の変革期に内閣総理大臣を輩出してきた歴史がある。現在の増田寛也県知事は若手ながら先見性を発揮して県政に取り組んでいるし、我が町の佐藤守町長も町村会長として大胆な発想で住民自治の業績を挙げている。
地域の発展は言行一致の精神で、人のために汗を流す有志の双肩にかかっていると恩う。そういう意味で、藤沢岩手クラブは燃えている。
中核を成す会員が四十代であることも良い成果を挙げている要因であろう。彼らは「遊びたい盛り」でもあるが面倒見もいい。熟年者に良い刺激を与え、くじけそうな時には叱畦激励してくれる。
熟年者は、暴走しそうな四十代のメンバーにプレーキをかけ、知恵を授ける役目を担う。我が町を歴史的に見れば「南部牛追唄」の南部藩と「さんさんしぐれ」の伊達藩、二藩の統治下にあった。現在でも地味な南部衆と派手な伊達衆の気風がミックスしている。
鎌倉時代には相模の江ノ島・藤沢からやってきた遊行寺の僧と交流があったという。岩手藤沢の地は大河・北上川のほとりでもあるし三陸の海にも近い。
陸路と共に海路・水運の便が良かったようだ。我が藤沢岩手クラブは今夏も「藤沢縄文野焼き祭り」を支援した。第二十六回を迎えたこの祭りは、町民がこぞって手作りの土器を窯に入れて焼くもの。
短い夏の一夜、燃え盛る炎に集う人々がエネルギiを爆発させるイベントである。野焼き祭りでは、恐らく日本一ではないかと言われている。
さて、藤沢岩手hのこれからのテーマは、地元開催が決定した;二○〇三年度の.「第四十九回年次大会」に向けての対応である。今年北上市で開催された年次大会には五千人の方々が集まり大盛況だった。
私たちも感動させられたが、平静になつて考えてみると、今度は私たちが担当しなければならないのである。
しかし、さすが知恵者揃いの当クラブの面々である。「大丈夫、秘策あり。任せなさい」と四十代の中核者グループは胸を張っている。
また「燃えよう」とハッパをかけられ、熟年者グループも燃え始めているのである。しみじみ思うことがある。「ライオンズクラブで活動させてもらっていると、年を取る暇がない」と
10月31日 岩手日報掲載
養育と訓育を優先し教育を
◇昔の一学校の先生は安月給の代表であった。.今の大不況の中では、先生は高給取りなのだ、という“ちょっと変だと思う!学校現場の先生たぢの苦労と努力を知っているだけに私はこの説に憤概している」「もっと給料を上げなきい」と訴えたい。
学校に行くのがイヤだ/先生が嫌いだ…。子どもがそう言ったとしよう。「ハイ、.そうなの」と校長や教育委員会に直訴する親がいる。家庭の在り方を振り返ってみなさいと私は主張する。これには、一子どもの人権を振りかざして、わが子の気持ちを大事にしたい、.と親が反論するだろう。
人格とか人権は尊重し。なけれはならないが養育と訓育が優先しなけれぱ教育は成り立たない先のような直訴を「おっしゃることごもっとも」と管理サイドは、親側のがままを受け入れてきたのではないか。この辺でガツンといこう。
この厳しい時代を生き残るために命がけで自立し自活すべきだ。
学校で勝手気ままな振る舞いをする子は訓育指導を行っでも更生できない場合は即家庭へ戻す。親が面倒見るべきのだ。心入れかえて復帰したかったら大歓迎」学校は今も昔も楽しいところなのである。
10月28日 岩手日日新聞掲載
縁の下の力持ち
米国の威信を懸けた攻撃が続いている∴そして「炭そ菌」騒動がぼっ発し、各国にもその余波が及んで、一米国民はそうした世情不安をスポーツに熱中することで解決しようとしているように思われる。
野球の大リーグ中継を見ると、スタジァムは超満員である。テレビ画面にちらりと投球練習場が映る。ブルペン捕手が黙々と球を受け続けている。日本の場合もそう
である。バッティング投手同様、そういう立場の捕手は日の目を見ることはない」気の毒になる。一掩手は、扇のかなめと称される“しかしそれは正捕手の場合であって、ブルペン捕手は練習場で座りっぽなしである。でも大事な立派な仕事場と割り切り、業務に専念しているという。
さて、この不景気の世の中、仕事を選んで日の目を見るような業種でなけりゃ、ど思っている人がいのではないだろうかあえて人が嫌がる仕事をやろうとする心意気に私は感動す
る。かつて私は草野球のブルペン捕手であった。だれもやりたがらなかったので、私は進んで務めた。■「縁の下の力持ち」■とは地味で脚光を浴びることのない人のことをいうのだろう。でもそういう人たちが存在して私たちのの世の中は成り立っているのだ。
10月10日 岩手日報掲載
愚痴は言うまい同級会
「同級会をやるぞ」と盛岡のN君から電話が入った。紅葉の盛りの十一月下旬に温泉場の宿を予約するという。
「同級会7.」。ということはH先生の学級担任のアレとアイツらとの会だな、と集まりそうな顔を思い浮かべた。ずいぷん会っていないなあ、と指を折ってみた。
何回も同級会は開催され案内状が届いてはいたが、仕事の都合があって不参加であったから十年ぷりになるかと音日を回想したのであった。昭和三十三年三月に盛岡のM高校を卒業した私たちは、還暦を越えた年代なのである。
二十一世紀初年に六十歳になった者が中心なんだなあ、と思い返した。私たちのクラスは五十人の仲間がいた。女子も七人いた。同級会は幹事役がきちょうめん、かつ世話好きな人物でなけれぽ継続しない。一そういう点では私たちの同級のN君は適任者といえる。
苦労して名簿作りをしてくれた。物故者が確認できただけで八人いることも分かった。所在が突き止められない者が十五人いることも分かった。
「Nちゃん、五十人のうち二十七人をしっかり把握できたことは素晴らしい業績だよ」と伸間ま感謝し称賛している。私たちを三年間学級担任されたH先生は八十三歳でこ存命なのである。
今、N君はH先生を何としても、あらゆる手を尽くして同級会へお呼びする手だてに取り組んでいる。六十歳を過ぎたら平等、対等に付き合おうというのが私たちの合言葉である。
当たり前のことなのだが…。肩書は昔のことと、すっぱり切り捨てている。立身出世?懐かしい言葉だねえ1と私たちの伸間は意に介さない。残生という考え方があるという。
余生と同じ思考なのだが「残生」であるからには、やり残したことを成し遂げようと意欲がわいてくる。老齢者に厳しい世の中になってきているのが悲しい。「人生の超ベテランたちが団結したらすこいパ
ワーになるんだろうがねLと伸間の一人が言う。また一人は「張り切りすきるとコロリンになるぞ」と脅かす。命を取られるというのだ。「同級会では愚痴を言うもんじゃないよ」と女性パートナーがいない同級生もいる。
生涯現役で頑張ろうと励まし合うのが、お互いの存在を尊童する最善のすべであろうか。(藤沢町徳田、文化団体役員61歳)
10月号 The Lion 掲載記事
緑多いみちのく岩手の山申で、藤沢岩手クラブの会員四十四人は、人口一万五百人の町の奉仕活動を行う。ほかにも町の諸行事を支援しているので、町・民にも非常に感謝されている。
今年五月の「搬-B地一K姑岬十七固北上市年次大会」では、中村好雄地、Kガパナーを始め各幹部の見守る中、我がクラブからク高橋義太郎が副地区ガバナiに選任された。
当クラブの面々は個性豊かで、英知を集めて地域の活性化、新時代にふさわしい住民自治のため活動している。結東も固く「長引く不況からの脱出は我々から」という気慨で事業やボランティアに励んでいる。
私は著述業という立場から日本再生の構想を練り、原稿を作って提唱している。岩手からは戦前戦後、また時代の変革期に内閤総理大臣を輩出してきた歴史がある。
現在の増田寛也県知事は若手ながら先見性を発揮して県政に取り組んでいるし、我が町の佐藤守町長も町村会長として大胆な発想で住民自治の業績を挙げている。地域の発展は言行一致の精神で、人のために汗を流す有志の双肩にかかっていると思う』そういう意味で、藤沢岩手乃ラは燃えている。
中核を成す会員が四十代であることも良い成果を挙げている要因であろう。彼らは「遊びたい盛り」でもあるが面倒見もいい。熟年者に良い刺激を与え、くじけそうな時には叱畦激励してくれる。熟年者は、暴走しそうな四十代のメンバーにブレーキをかけ、知恵を授ける役目を担う。
我が町を歴史的に見れば「南部牛追唄」の南部藩と「さんさんしぐれ」の伊達藩、二藩の統治下にあった。現在でも地味な南部衆と
派手な伊達衆の気風がミックスしている。鎌倉時代には相模の江ノ島・藤沢からやってきた遊行寺の僧と交流があったという。岩手藤沢の地は大河・北上川のほとりでもあるし三陸の海にも近い。陸路と共に海路・水運の便が良かったようだ。
我が藤沢岩手〃ラは今夏も「藤沢縄文野焼き祭り」を支援した。第二十六回を迎えたこの祭りは、町昆がこぞって手作りの土器を窯に入れて焼くもの。短い夏の一夜、燃え盛る炎に集う人々がエネルギiを爆発させるイベン
トである。
野焼き祭りでは、恐らく日本一ではないかと言われている。さて、藤沢岩手〃ラのこれからのテーマは、地元開催が決定した二〇〇三年度の.「第四十九回年次大会」に向けての対応であるd今年北上市で開催された年次大会には五千人の方々が集まり大盛況だつた。
私たちも感動させられたが、平静になって考えてみると、今度は私たちが担当しなければならないのである。しかし、さすが知恵者揃いの当クラプの面々である。「大丈夫、秘策あり。任せなさい」と四十代の中核者グループは胸を張っている。
また「燃えよう」とハッパをかけられ、熟年者グルーブも燃え始めているのである。しみじみ思・2」とがある。「ライオンズクラブで活動させてもらっていると、年を取る暇がない」と。・薯述業・61歳
9月30日 岩手日日新聞掲載
20世紀の名言
藤沢誠
お彼岸を迎え、私は天国で眠るおやじとお袋の霊に手を合わせた。そして自然意気持ちで米国で衝撃的な不慮の死を遂げられた方々へもこうべをたれた。事件の犠牲者のめい福を祈ってのことであった。。
米国人の驚きは大変なものであったし、私も映像や新聞記事を目にし腰を抜かしたものである。「なぜ、だれが、何のために」。皆目分からないのであった。
米国政府は「報復する」と童言した。日本ほ米国から軍事攻撃を受けた体験のある国である。米国のパワーは世界中の人々が知っている。私は思った。「もう戦争はやめてくれ」と。
日本が敗戦を覚僑したときに伝達された套言葉を患い浮かべた。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」。一民族が存亡の危機に陥った場合の決意として、これ以上の言葉はあるだろうか。
命を失った方々の死を無駄にしないためにも、これ以上の犠牲者を出すべきではない。米国民に冷静になってくださいとお願いしたい。償いをさせる方法は英知を集めて人類共通の条理を適用する。悪は裁かれなければならないのである、日本が決慧した遇去の一こまを、米国が学んでほしいと切望する。二十世紀の着言として、戦争を防ぐ武器として永久に伝えたい。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
9月26日 岩手日日新聞掲載
散歩道
藤沢誠
色とりどりのコスモスが咲く山道をゆっくり歩く。.
空気がきりっと引き締まっていて大変気持ちがよい。
晴れた日の朝五時半ころである。ため池付近で犬連れの熟年男性と擦れ違う。「おはようこざいます」とあいさつ。人と人との触れ合いは、朝はこの一言で十分足りる
ふと足元を見たら猫がいる。.「うちの猫は犬と一緒に付いてくるんだよ」と、飼い主の方がおっしゃるる。猫も散歩することを知って私は新発見した科学者の気分になってしまった。
小高い山のてっぺんでは老夫婦がひと休みしていた。「秋になったね。稻も.色付いたし」と言われて、見下ろした視野に田んぼが広がった。「青刈りしなくてもいいと思うんですがね」と私。
日本は美称として「瑞穂(みずほ)の国」と魯われた。みずみずしい稲が実る土地柄を表現したものだ。..「罰が当たるよ」とその老紳士は言った。
山遣を降りながら私は考えた。「これからの目本はどうなるのだろうか」と。先がまったく見えてこない不況、.リストラ、就職難、諸物価や公共料金や諸生活費の値上がり-などなど少しも良いことがない、
「だから世がさびれ、人の心もすさんでしまうんだ」友人が酔って叫んだ一言が思い出された。「ライオンがほえれぽほえるほど周囲は萎縮するもんだよ」。このライオンは人で言えぱ「ああ、あの人か」四十五分コースの散歩でいろんなことを考え込んで、しまった。
里では勤め人や子供たちが動きだしていた。『勧く人や子供たちに偉大な未来を与えたいなあ」と思った。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
2001年6月24日 岩手日日新聞
有意義だった住民の研修会
五月二十三日、五月晴れの下、藤沢町で「長寿さわやか運動会」が開催された。八地区対抗のシルバー精鋭の競技は着者を圧倒する熟気で盛り上がった。わが二十四区(徳田自治会)は十四年ぷりの優勝を果たし、創意工夫された住民結束の応援ぷりが評価され「最高応援賞」淋授与された。
この勢いを引き継いで三十一日に二十四区の目治会研修を行った。平日の日帰りだったが男女半々の;十二人が参加した。当日は、田畑には恵みの大雨であった。人にとっても、久しぷりの骨休めになった。
朝八時四十分に藤沢を出発し、宮城県境の七曲峠を下り瀬峰町の渡辺採取場瀬峰研究農場を見学した。農場長さん直々の説明と案内で、午前中はたっぷりと作物栽培のノウハウを勉強、大変有意義であった。
昼食は登米町の還山の里で豪華メニューに舌鼓を打った。登米は北上川流域なので、舟運を遭じた岩手との結び付きが深かったことを知った。この地で登米町指定重要文化財の「水澤県庁庁舎」に出合うとは思わなかった。
宮城に「岩手」ありであった。今回の研修で、自治会活動は住民による人と人とが一つであることを再認識した。研修会を企画し実行してくださった区長さん、自治会長さん、総務部長さん、産業部長さん方に感謝します。こういう有意義な企画をこれからも立ち上げて下さい。
2001年7月号 月刊誌 文芸広場
みちのくに奇妙な遺跡あり
「祭時」という漢字を目にして読解できなかった。「まつるべ」と地元の人は発音している。奥羽山脈の岩手、秋田、宮城の三県に重なり合う地点に「祭時山」まつるべやま が位置する。麓には高温の温泉が涌いていて昔から「火の神の湯」として薬効抜群とされて来たらしい。
この山は平地系と高山系の植物が混合していて植物の宝庫とされ"山菜の台所"と称されているようだ。祭時温泉の一軒宿では、ここで採集した山菜料理を名物としている。一年前に神奈川県から岩手県に移住し、はじめて祭時のことを知ったのであった。
真冬の一月、大雪の中湯治のため祭時の温泉にひたった。源泉ということもあり、噂通り熱い。体はあったまり、霊験あらたかという気分にはなった。「祭時に降る雪は岩石の如し」と一言われているらしい。大きな固まりとなって吹きつけるからとか。
私が見た時は山頂からものすごい勢いで押し寄せる地吹雪で、息もつけぬ程であった。宿のこ主人(鈴木貞太郎氏)の話。「火の神の坐(ま)す山にちなんでその霊妙な効果を温泉に託した」のだという。そもそも祭時が知られるようになったのは ごく最近のことらしい。
40年前の一九六一(昭和36)年に一冊の聞き書き本が限定で発行された。存命の岩手県胆沢町在住の小島清久氏(86歳)の回顧録『祭時開拓の歴史』によって"まつるぺ"が世に知られるようになった発端である。
「地元のマタギ(ハンター)に山頂に不思議なものがあるよ、と聞き山頂にたどりついて"奇妙なもの"を探し当てた。これだけの記述でその"奇妙なもの"は何なのか人々の興味は引かなかった。
どこの山の上にも祠だとか石を積み上げたものや烏居をよく見かけるからである。一九八○〜一九九〇年代のバブル好景気の頃は山奥の祭時は観光の対象外であった。世の中はリゾート法が制定され諸設備がそろった観光地が脚光を浴ぴた。
そしてバブル崩壊。不景気と共に観光の趣向も変あり秘境めぐりが流行した。岩手県一関市も時代の流れをとらえて祭時に注目した。観光資源の価値がある
か。非公式な調査グループが組織された一代表・横沢重雄氏一。一九九八平成10年のことである。調査結果が地元の「岩手日日新聞」に掲載された。それによると確実に"奇妙なもの"は実在する、というのである。
アイヌの言葉に「マツルベ」があり、"若い娘が快適に歩いて行く細い道"の意味があるとか。
しかし4合目以上は平均斜度が55度以上の急登で快遭に歩ける状態ではないらしい。山頂一帯は背丈3mチシマササ以上の千島笹がおおっていて、地形全体を見るには積雪時に隈定される、と報告されている。
山頂付近の笹ジャングル内には巨岩、大石に囲まれたかなつ広いスペースの祭つの場らしいものがあり、石組みの岩石は2合目の石山から運び上げられたとしか考えられない。全体で5万個以上の岩石の構築物は一日o人が石切りと加工と石運び及び石組みを10時問行ったとして最低7年半はかかるぐと推計している。
調査グループは「確実に人工による石積の構築物が祭時山頂に存在する」と暫言している。私は冬場に麓に行っただけで吹雪に腰を抜かし、山頂へ登ったこともない。ウソかマコトか是非自分の目で確かめてみたい。
もしも人工による構築物が本物とするならぱ、一体@誰が、A何の目的で、Bいつ、Cどのようにして作ったのか解明されて欲しいと思う。現代のハイテク技術で何とかできないものか。日本の国土には国碑、言い伝え・噂等で奇妙なものの存在はかなつ知られている。がお金の工面がままならず科学的調査が実施されることが少ない。
公共団体も採算の見合う観光資源だと認知できない隈り、予算を組まない。経済大国ともてはやされたわが国ではあるが、文化大国と世界から賞賛される日が待ち遠しい。祭時温泉は東北新幹線一関駅で下つ・駅前から午前、午後に一本ずつ岩手県交通のバスが往復している。
冬場も除雪車が出て運行されている。真冬の山頂からなら奇妙な人工一?一構築物が見られるというが登山は厳しいらしい。夏場なら温泉宿から山の自然を味わいながらゆっくり登山一3-5時問一し山頂にたどり一つけるが、千島笹におおわれて"遺跡"が見られるかどうか保障はできない。
「今年の夏は熱い」火の神の湯"にひたりながら祭時山を征服したいと計画している。若い有志の方々が山頂の笹ジャングルを刈りはらってくれないものか。いや、自然保護団体から「勝手なこ。とはするな」とクレイムがつくのだろうか。
何の根拠もないらしいが、誰がどう宣伝したものなのか祭時山の遺跡は「8千年前の築造だ!」と地元ではいわれている。憶測がはぴこらない内に正式な調査が行なわれないポ・のだううか。「まつるぺ」は祭つ場に通じるとすれぱ先人段ちはどんなことを祈って祭りを開催したのか知
りたいものである。(岩手県東磐井郡)
2001年6月8日 岩手日報
大臣資産公開 借財も明示を
小泉内閣が資産公開をした。私たち国民は正直言って、その公開された中身を「冗談でしょう」と受け止めている。そんなに資産が少ないわけがないだろう、と。公開内容にはからくりがあって、土地価格が実豪の売買とは違うとか、普通預金などの貯蓄が除外されていたり、値段があってないようなものとされる「貴金属・美術工芸品・・書籍・古物骨とう品」などが含まれていない。
さらに資産が上手にこ本人以外の家族に分散されていたりしているらしい。私たち国民は、資産が多いから大臣にふさわしくないとは思っていない。聞違っても大臣の地位を利用して利権をあさったりしないでほしいと願うだけだ。
公開は、資産よりむしろ「借財・借金」を明示してもらいたい。立派に仕事をすれは、その借金の多い大臣政治家には国民から寄付、'献金が舞い込むだろうと思うのである。今年も選挙があるが、金をかけずにまっとうな政策で勝負する立候補者に「清き一票」をささげたいものである。
2001年5月27日 岩手日日新聞
珍客来訪
横浜に住むOさんから電話が入った。「八月の藤沢の野焼祭を見に行くわよ」。恐らく二、三人のむ一行様と思ったので、詞子よく「ハイ、どうぞ」と返箏をした。
このoさんは元女性教員で,子供のために一生懸命に努力された方で、その実践力が買われていまだに教育を支援する役目についている。私の先輩である。趣味も多く、青少年のほかに一般の方々とも触れ合いを深めておられる。
しぼらくしてまた口購が入った。「私たちの〃日本・再発見同好会"の総会で」岩手蟹沢行きを募ったら十、酉人が参加を希目したのよ。野宿でもいいから、面倒を見てね」と財チャリ。
良いも思いもない、采るというo少人整なら私の家に一泊してもらえるのだが…十五人のご一行様とは。世の申には神様がいるものだ。知人の町臼会臼口のさんに相談したら「雑魚寝」でよかったら私の所へどうぞ』。素泊まりを条件に受け入れていただくことになった。
車や食事などはこれから算段し、〃田舎なれども慶沢の里〃を胃発見してもらおうと思う。
○さんには「旭元にお金を落としていただきまずから、諸径口は正直に晴求しますよ。お土産をたくさん口ってくださいよ」と伝えておい噌-八月十'目と十二目の一泊二日の〃目本再発見同好会"の方々が一関、〜纈井地、
方をどう評価されるのか今.から楽しみにしている。。
(蘭沢町サンパルナ、61).
2001年5月25日 河北新報
私の生きがい英会話の恋人
宮城県本吉町から毎週一回、岩手県藤沢町にある英会話教室に通つてくる三十一歳の女性がいる。私にとっては娘みたいな人だ。語学習得か早く、もたついている私をいつも救ってくれる。
いつしか、私はこの人を「英会話での恋人だ」と勝手に決めてしまった。あるとき、英会話の後、クループでお茶を飲んだ。「どうして宮城から岩手へ学びに来ているの」と尋ねたら、「家から近いことと、人に知られずにこっそりと英語を身につけたかったから」と答えてくれた。
この「本吉町の恋人」はオーストラリア人の先生にもかわいがられて、めきめきと英語カが高まっている。そんな姿を見るのが楽しみだ。そういう私の語学力はというと、残念ながら上達していない。"恋人"にも見放されそうだ。でも十二月まで一緒に学ぺるだけでうれしいし、私の生きがいにもなつている。
2001年5月23日 岩手日報
北上川の舟運 復活させたい
県南の北上川の流れは雄大である。特に一関市以南の川崎村、花泉町、藤沢町の「北上川峡谷」ともいうべき風景は、中国大陸奥地の「三峡」的風漂漂つ。
ある日、塞只から遊びに来た友人が「なぜ、北上川を舟でさかのぽって盛岡へ行けないんだ。こんなに水量が多いのに」と言う。ねるほど花泉、.
藤沢、川崎の岸辺から工ンジン付きの舟に乗ると盛岡へは最短距離になる。
舟からは〃いわて大陸"、の鳳景も楽しめるいうものだ。「昔は石巻と盛岡間は舟運が盛んだったそうだ」と教えてやると、友人は覆活させればいいじゃないか」と言った。岩手の皆さん、どうしますか。難しい法律は知らないが、どなた、か「やってみよう」という人はいないものか。
岩手の宣伝として、山形県、の最上川へ追い付け、追い越せということにはならないだろうか、と思ったりしている
今、県南は「いわて東磐井の里・体感フヱスタ」が開催されている。十月二十八日までの長期イペントである。盛岡から舟下りで北上川を利用して訪れるのも一興ではないだろうか。北上川の一悠久の流れを再認識したいものである。
2001年5月25日 河北新報
私の生きがい 英会話の恋人
宮城県本吉町から毎週一回、岩手県藤沢町にある英会話教室に通ってくる三十一歳の女性がいる。私にとっては娘みたいな人だ。語学習得が早く、.もたついている私をいつも救ってくれる。
いつしか、私はこの人を「英会話での恋人だ」と勝手に決めてしまった。あるとき、英会話の後、クループでお茶を飲んだ。「どうして富城から岩手へ学びに来ているの」と尋ねたら、「家から近いことと、人に知られずにこっそりと英語を身につけたかったから」と答えてくれた。
この「本吉町の恋人」はオーストラリア人の先生にもかわいがられて、めきめきと英語カが高まっている。そんな姿を見るのが楽しみだ。'そういう私の童題千刀はというと、残念ながら上達していない。"恋人。にも見放されそうだ。でも十二月まで一緒に学べるだけでうれしいし、私の生きがいにもなっている。
2001年5月9日 岩手日日新聞
スポーツ万歳
藤沢誠
学童スポーツ、中学校や高校のスポーツ大会が開催されている。「進学勉強やパソコン漬けの暮らしも個人にとって意義があろうが、スポーツで汗をかく脅春には感動するなあ」と熟年仲間で語り合った。
私は頼まれるとボランティアで野球の審判も務める。公式審判員の資格に誇りを持ち、威厳ある判定を心掛けている。しかし昔と違ってルールが改正されて投手のポークの見極め、打者のスイングの微妙な判定には苦労するが、若人のゲームに接するのは楽しい。
地域によってかつ、学校の生徒数の多い少ないで指導者の方々の苦労がよく分かる。野球の場合も基本を身に着け実戦的応用の技を習得させるのも大変である。親として、わが子には主カ選手となって活躍してほしいと願うのは当然のことである。
土日や祝日はチームとして選手、指導者、親や家族は出ずっぱりである。身内の声援を受けて選手は奮発し、親子の触れ合いも深まるというものである。「汗をかけ!それが青春だ」と、私は拍手を送るものである。
黄金週間中も若人はあちこちでスポーツに汗を流していた。素晴らしいことだと思う。スポーツ万歳。私も昔、小申高校でスポーツに熱中したものである。今となっては苦しさよりも楽しかったことが残っている。
食糧不足の時代と違つて何でも食べられる。スポーツ愛好者の皆さん、好き嫌いをせず栄養を取って存分にスポーツを楽しんでください。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
2001年4月29日 岩手日報
<すくらんぶる>
食うか食われるか
四月のうららかな日、里山での園芸作業を申断して昼食のため自宅へ車を走らせ、近道の林の申を通った時。十炉前方の道の真ん中で大きなカラスが羽根を広げバタつかせている。思わずブレーキを踏んでよく見ると、三十センチほどのヤマカガシと格闘している光景に出くわした。
私は車中から、この異種格闘技戦を見物することにした。カラスは両足でヘビを踏みつけ、くちばしで挟んで上空へ運ぼうとしているらしい。ヘビも必死でかま首をもたげて威嚇し応戦している。文字通り食うか食われるかの対決であった。
カラス優勢と見てとった私は、レフリーよろしくクラクションを鳴らした。カラスはパッと近くの高い木の枝に飛び、上から私の車をジーっとにらんでいる。ヘビの方はというと、今度は私へ向かってかま首をもたげた。
カラスにもえさを運ばねばならない家庭事情もあろうし、私にも都合がある。ヘビにも生きる権利はある。エンジンをかけるとその音に反応し、ヘビは素早く草むらに消えた。カラスは山の中に飛び去った。
「人として私は皇いことをしたのだろうか」と複雑な気持ちになった。さて、人闇社会では食うか食われるかの争いがないとは言えないのではないか。民族紛争、宗教争い、商売競争、職種ことによるポスト争いなど、人が集まる所同種闇抗争が後を絶たない。仲良くすることに越したことはない。
日本の首相争いも一段落したようだが、新指導者は「国民の国民による国民のため」に働いてほしいと願わずにはいられない。
(藤択町サンパルナ、61歳)
2001年4月20日発行 退職者共済だより
<悠々倶楽部>
定年人のホームページ開設
昨年四月に神奈川県から移住して、かれこれ一年が経ちました。
岩手県の藤沢町の山里で、一人の"定年人`の生きざまの日々をメモで綴る「ホームページ」を、かっての若い同僚の手助けで開きました。
四季の移り変わりの中で、どんな感性で暮らしているかを、ぜひ見てください。
HPアドレス
2001年4月18日 岩手日報
熟年者八訓
熟年者自身がシャキッと
藤沢誠61歳(藤沢町文化団体ポランティア)
◇熟年者からシャキツとしよう。春先の木の芽どきで、気が変になったのではない。勤勉かつ善良な一県民としての決意である。「若者たちへ手本を示すべきだ」と六十代の伸間で語り合った。
自髪頭や髪の薄くなった頭の男女が真剣な顔つきで、音は全員美女・美男であったと自負しつつ語り合ったのである。私たち六十代は、戦争中は幼年・学童期で、銃後の予備要員であったので軍隊体験はない。軍国主義から民主主義への激変の中で成長したのであった。
今の国家指導者の主流も六十代の人たちだ。戦中、戦後のドサクサの中で育ち、敗戦にほんろうされたグループなのである。「シャキッとしよう」ということは、若者に説教したり、こうあるべきであると理想を押し付けることではない。
■熟年者自身がわが身を整え、年き抜く姿勢を態度で示そう、ということなのである。盛岡市在住の六十三歳のNさんが範を示していることを紹介する。題して「熟年者八訓」の実践者である。
@感性を磨こうA自らの健康は自ら守ろうB礼儀を正しくしようC教養を高めようD常に身の回りを美しくしようE信義を重んじようF預金を楽しまず消費を楽しもうG常に恋心を持ち続けようーだ。
私たちはNさんの方針と心構えに感じ入り、一共通の実践要項として確認し合ったのである。
2001年4月17日 朝日新聞 東京本社
毎日が楽しみ 三つ子の笑顔
無職藤沢誠
(岩手県61歳)
今月から楽しみが増えた。3人そろつて小学校に入ったし知人の子の、学校帰りの顔を見ることである。お姉ちやんと弟さん2人の三つ子ちゃんである。学校は全児重数76人、各学年1クラスずつだから同じクラスで学んでいる。
開校以来、初めてのことらしい。みちのくの阜春の昼下がり、日当たりのいい知人宅の縁側で、熱い日本茶をすすり、ほどよい塩加減の自家製タクアンをかじって世問話に興じていると、「ただいま」と3人のチビツ子が帰って来る。
迎えるおじいちやん、おばあちやんと、目と目を合わせ互いにニツコリ。その光景を見る私は、他家のことながら幸福感にひたるのである。両親は共働きなので、畑父母の存在は大きい。「生校は?」「楽しかった」。
元気な声を聞いた私は退散。3人は競争しつつ、協力し合う。ご一家の育児の苦労も知つているだけに、末永く幸多かれと祈るとともに、私は陰ながら手助けしようと決意している。
2001年4月15日 岩手日日新聞
青春時代の探求事項
三月に高校を卒業した親類の子が数人いてお祝いをした。就職した者、専門学校と大学に進んだ者とそれぞれのコースを選択し、目的を達したことを祝福した。
祝い金を与えただけでは釈然としなレので、メモを添えて自立、自覚を促した。貴重な青春期を無為に遇こされたのではたまらないという老婆心からである。
私がもう一度青春時代に戻れたならば、という願望を込めてのメモである。
・好奇心を満たそう・スポーツで技と心と体を極めよう
・学芸学術の奥義を求めよう
・未知へ挑戦しよう
・外国、外国人と触れ合おう
・人とし.り内面を追求しよう
・自己形成、確立に挑もう
・未来を開拓する目標を定めよう
・発見、発明に取り組もう
・思想、理論を自分なりに構築しよう
・人闇関係の機微を探ろう
こういった事項だ。素直に理解してもらえないだろうけど、熟年者から青年に探求せよ、とメツセージを届けた次第である。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
2001年4月10日 岩手日報
老若をつなぐ心強いネット
藤沢誠61歳
(藤沢町文化団体ポランティア)
神奈川県のある町に住む若い友人が,年寄りの不器用さと頭の固さを
見かねて手を差し伸べてきた。この三十代の友人は「ワソタッチの時代ですよ。コンピューターの扱いもできないご老人なんて"生きている化石"と言われちゃいますよ」ときた。
とんでもないことを言うものだ。実は私は、彼から十隼前にワープロを教わった。やっとなじんでワープロ一筋で生きている状況なのである。「パソコンでワープロ機能を活用すれはいいものを」と、今は離れて暮らしているので、手ほどきができないとぱかり彼がいら立った。
そして田舎暮らしの私を"生きた化石として紹介してあげようと、一日からインターネットを立ち上げてくれたのである。原稿や写真を私が送り、彼がインプヅトする。たったこれだけのことであるが、私には老後の暮らしの張り合いが一つ増えた。
そこで思うのだが、育年と老人との交流は大切である。遠く離れていても田舎と都会は一直線なのだと、意を強くしている。青年の活力を引き出すのは老人の役目だし、老人に生きがいを与えるのは若者たちの役目なのである。
気持ちを新たにして、さらにたくさんの若い人たちと交流していきたい。
2001年3月18日 岩手日日新聞
夫婦三景
今月上旬の寒い日、女房と二人連れの温泉行きとしゃれ込んだ。奥羽山脈の懐に抱かれた県内のある温泉ホテルヘである。湯量が豊富で存分にリフレッシュができて私たちは大満足した。
ウイークデーにもかかわらずそのホテルは熟年の方々のカップルで盛況だった。旅の楽しみは温泉とともに食事もその一つである。朝食を待ち兼ねて私たちもバイキング方式のレストランに行った。品数も多いので少しずつ皿に取勺て食べ、何度も足を運んでお代わりした。
「あのこ夫婦を見て」と七十代と思われる二組のカツプルを妻がそっと指さした。夫として私は考え込んだ。一組のカップルは夫がでんとテーブルに座っている。ちょっと腰の曲がった妻が夫の飲み物食べ物を幾度も幾度も運んで渡しているのだった。
その夫は身体が不自由そうでもない。「こ亭主関自の夫婦ね」と妻がささやいた。もう一組のカツプルでは夫が妻のため一生懸命にお皿を運んであげていた。妻の足腰の呉合が悪そうであった。「あのこ主人偉いね」と私をにらんで妻が言う。私は目を伏せた。
この二組の夫婦を観察し、私は近未来のわがカップルは、どうなるだろうと考えていると、「私たちはね、自分のことは自分できちんとやり表しょうよ、ね」と、妻にきつく宣言されたのである。世のこ夫婦の皆さん、どんな夫婦になりたいですか。
(藤沢町サンパルナ、61歳)
2001年3月7日 岩手日日新聞
偽物を見抜く
小中学校は卒業式を間近にし、児童生徒は大志を抱いて巣立とうとしていることだろう。かつ、学年末を迎え、進級に夢を膨らませる子供たちも多いと思う。
一年前に身近に接した小学校六年生の男の子「Mちゃん」のことを思い出している。普通学級との交流授業に付ぎ添って行くのだが、逃げ回るものだから追い付くのに苦労した。「僕は勉強嫌いなんだ」と言ってはばからない。
「私もね勉強嫌いなんだよ。お遊びした方が楽1しいものね」と'気持ちをほぐそうとすると、「じゃあ、遊ぼう」一と言われてしまう。人見知りせず愛想がいいので先生や子供仲間がら「Mちゃん」と呼ばれ親しまれていた。
このMちゃんが鏡の学をして興味と関心を持ち始めた。研究に熱中してとうとう〃発見"したのである。「鏡に映っているものは偽物だ」と。映っているものは反対になっているんだと主張して譲らない。
指導スタッフはMちゃんの思考を大事にした。卒業期になると文集に「発明王になりたい」。と将来の夢を記。そしてMちゃんはテレビに挟石のも偽物だと言った。'犬人は笑えなかった。パソコンも初級レベルの操作ができるようになり、小学校の思いのイラスト作りをしていて、「パソコンの画面も鏡と同じで偽物ではないか」と疑念を示し始めた。
・大人は何も言えなかったσ.なるほどテレビやパソコンの画面に映るものは本物なのだろうか、と私も思い始めた。Mちゃんはこの四月には中学の二年生に進級するという。未来の〃発明王"は健在のようだ。彼の才能の芽が摘み取られないようにと祈っている。、
(藤沢町藤沢、61歳)
2001年3月1日発行 退職者共済だより
ヤングマンとの会話
岩手藤沢誠(61)
定年退職後は、山里の町でくらしている。縁あって、地元の公立学校の生徒との交流がある。つまり、クラブ活動の支援である。他校との交流の際は、生徒を自家用車で移動させる。私の愛車は八人乗りのため、一台で大勢を搬送できるので重宝されている。
田舎の中学生といえども、車中の会話はいかにも今風である。私に問いかけてくる言葉のえげつなさは別にして、思春期の男の子特有の興味と関心のある内容である。
「テレクラに行ったことある?」「オナニーしたことあるの?」「セックスは一日に何回できるか?・」彼らは、私が「先生」ではないから気安く尋ねてくるのである。
私は、これらの質間に対して、「そんなことをいうんじゃない」と叱ることはしない。「もう、おじいちゃんだから忘れてしまったなあ」と受け流している。彼らヤングマンと接していて、私自身の若かりし頃を思い出す。
やはり性に目覚めた時のことを。ご同輩の皆さま、ヤングマンからこのような質問を受けたらどう返答しますか?・ご教示ください。
そして、「熟年の性」のあり方についてもご指導ください。
2001年2月28日 岩手日報
岩のような手 働き者岩手人
藤沢誠61歳
(藤沢町ボランティア)
◇新世紀がスタートしたが、私たちは閉塞(へいそく)した世の中に遭遇している。そんな中で、世界に目を向けようと決心し「六十の手習い」とぱかり、オーストラリア人が主宰する教室で英会語を始めた。
初級コースでたどたどしく発声している。そして「日本の岩手県藤沢町のマコト・フジサワですLと答える場面で思わず「ロック・一ハしまった。「OHYOUROCKHAND1」、手を見せなさいとジョークでかわされてしまった。直
訳も悪くはないが、と。
私はそこで、ハッと気が付いた。日本の再生には「ロックハンド」が大切なのではないか。岩手人の「手」はたくましく器用だ。熟年者の手はまさに岩のようだ。
農業、山林業、漁業、各種製造加工業、工場技術者として、また建築土木業などで鍛えた「岩の手」そのものではないか。大地にしっかり足腰を据え、全身に汗して働く岩手人。
日本中に発信したい。「いわて大陸にロックハンドマンあり」と。季節は冬から春へ。学校は入学、卒業で、若者は末来へ前進する。大人は肉体作業に立ち向かう。働き者の岩手人は前進する。日本国の再建は岩手人のロックハンドで実現させよう。
2001年2月10日 岩手日報夕刊 声 掲載
怒りを覚える税金の無駄遣い
藤沢誠60歳(藤沢町ボランティア)
善良な国民の一人として納税の義務を果たしている私だが、国家機関の税金のでたらめな使途に対しては怒りを覚える。機密費流用が発覚した外務省幹部の場合以外も、各省庁には、報償金とかの名目で、使い放題の公金があるのではないか。
税の重さにあえいでいる私たち「民」は、一円の重みを熟知している。リタイアした仲間は「納税しないで罪人になって刑を受け、刑務所で三度の食事をいただいて一生を終わりたいよ」としみじみ訴えている。省庁再編による一府十二省庁の組織は見栄えはよいが、中身は変化なく、旧態依然と言ったら国民として失格だろうか。
「財務省税金取って祝賀会」ということはないだろうが…。確定申告が始まる。景気浮揚政策が機能しない不景気の真っただ中の申告である。収支計算申告農家、営庶業白色申告、不動産所得白色申告、公的年金所得等で「民」は搾り取られる。農業や商工業の政策の失敗をうやむやにして。今こそ「民」に公的資金を投入せよと叫びたい。